新庄クリテリウムは、毎年、楽しみにされている方も多いですよね。
2011年の、新庄クリテリウム大会を覚えていますか?
東日本大震災で延期されて、肌寒い時期に行われました。
そんな中でも、出場する方は活気に満ちあふれていましたね。
2011年の新庄クリテリウムの様子を振り返りましょう。
また、災害の備えとしてどんな自転車が役に立つのかも書いています。
新庄クリテリウムってどんな大会?
新庄クリテリウムは自転車のロードレースで、毎年優秀な選手が手に汗握る戦いを繰り広げています。
この大会は、新庄市の新庄中核工業団地で開かれますが、高低差が少ない平坦なコースが設定されていてコーナーが多く、テクニックが必要とされるのが特徴です。
スピードはもちろん、判断力と技術が必要になってくるのです。
また、通常のロードレースとは違い、観客の前を選手が周回し、何回も通過するため、何度も応援できます。
そのスリリングなレース展開は、ドラマチックで、選手達の家族や友人も熱い声援を送っており、とても盛り上がる大会です。
小学生から、51歳以上と、出場できる年齢も幅広く、それぞれコースと時間がわけられています。
また、クリテリウムの他にタイムトライアルもあります。
こちらは、震災のあった2011年に、新しく設けられました。
地元や山形県民はもちろんのこと、東北全県から自分の力を試したいライダーが集まる新庄クリテリウム。
入賞賞品や、抽選会の景品が非常に豪華で、家族みんなで楽しめるグルメなものが多いのも、人気の理由の一つかもしれません。
2011年の新庄クリテリウムでも、つや姫や山形牛が商品として用意されました。
2011年は延期!新庄クリテリウムを振り返る
2011年の「第19回クリテリウム新庄大会」は、忘れもしない東日本大震災の影響で、5月から延期されることになりました。
かつて山形県で開催された「べにばな国体」を記念して始まったため、それまでは毎年5月のゴールデンウイークに開かれてきたんですね。
ですが、出場する選手たちは活気にあふれていました。
少し、2011年のクリテリウム大会の様子を振り返りたいと思います。
10月は、ライダーたちにとってトップシーズンで、5月と比べて、万全のコンディションで参加した方が多かったのではないでしょうか。
少し肌寒い中、久しぶりに会う同志たちと励ましあい、レースにのぞんでいました。
小学生の小さいライダーたちもしっかりと準備し、子供とは思えない走りを見せてくれました。
彼らのレースを見ていると、大人とは違った感動があり、未来が明るいことを感じさせてくれます。
また、個人タイムトライアルがあるため、運営も時間短縮したいのか、クラスの年齢幅が広がりました。
それぞれのクラスの年齢は、一般男子Aクラスは16~35歳、同Bクラスは36~50歳、同Cクラスは51歳以上という年齢幅で行いました。
また、15歳以上の一般女子と、小学生、中学生に分かれ、それぞれ気合の入った参加者が集まっていました。
第19回新庄クリテリウムの参加者は、全部で54名となったのです。
2011年新庄クリテリウムのレースの様子
引き続き、新庄クリテリウム2011年大会の様子を振り返ります。
一般男子のスタートはゼッケン順です。
号砲が鳴って勢いよくスタートできるのは前列となり、後ろは少し待って、ゆっくりスタートです。
周りに囲まれると抜かすのもままなりませんから、コース取りは重要です。
運も実力のうちってことでしょうか。
とはいえ、集団走行のトレーニングはこういうときに役に立ちますね。
日ごろから、チームで走っている人は、やはり落ち着いていました。
集団で力をため、ここぞというタイミングで追い抜いて、上位を目指すのです。
2011年大会は、日程が変更したこともあり、雪国の方々もしっかり練習する時間がありました。
そのため、普段は後方に沈みがちな人がぐんぐんスピードをあげて走っていました。
結果、優勝したのは、チームセレステです。
山だけではなく平地も早いことが証明されました。
また、新種目として取り入れたタイムトライアルは、シルベストの選手が優勝しました。
こちらは、ロードレースとは違って、ただひたすら自分との戦いです。
力の差がはっきりでましたね。
また、大会後の抽選会も、すきやき用山形牛や、県産米つや姫など、景品も豪華で、とても盛り上がりました。
震災から半年、東北の、復興へのエネルギーを感じさせる大会だったと言えるでしょう。
2011年新庄クリテリウム開催地・山形でも復興支援が行われた
2011年の東日本大震災の被害は、死者が15893人、行方不明者が2553人、震災関連死が3523人と多くの犠牲者が出てしまった、決して忘れてはいけない、忘れることのできない震災です。
津波は最大遡上高40.4mを記録し、広範囲において、多くの被害を生みました。
さらに、震災と同時に発生した福島第一原発の事故の影響で、その近くに住む人たちは避難生活を余儀なくされました。
このような忘れることのできない東日本大震災でしたが、震災のあとに行われた新庄クリテリウムの開催地でもある山形県でも、復興に向けて経済交流の取り組みが行われました。
山形では、震災の被害は比較的少ないとはいえ、揺れは強く、停電し、多くの方々が不安と戦っていました。
また、震災後の風評被害で観光客も減り、経済的に大きな打撃を受けました。
東日本大震災から時が経ち、政府も復興のめどが立ったと判断したのでしょうか。
震災から6年後、それまで毎年3月11日に開いていた首相記者会見も打ち切られましたね。
確かに、復興庁がまとめた避難者数のデータを見ると、ピークだった12年6月の約34万7000人から3分の1以下に減りました。
ですが、今でも多くの方が、プレハブ仮設住宅に入居しており、復興が追い付いているとは言えない状況です。
長く辛い戦いに耐えている方がいる以上、あの忌まわしい震災の教訓を忘れず、東北だけではなく全国で、心を一つにして、復興を目指していかなければならないでしょう。
2011年東日本大震災で活躍した自転車!
2011年の東日本大震災があり、その利便性に注目されたのが自転車です。
余震が落ち着いてから、鉄道は運休し、タクシーやバスには長い列ができました。
交通が大混乱に陥ったのです。
結局、歩いて、遠い道のりを帰宅しなければならなかった人もいました。
そんな中、自転車通勤していた人だけは、スムーズに勤務先から帰ることができました。
震災後、ガソリンの供給がままならない地域が多く、ガソリンスタンドには長い列ができていました。
また、津波のあった地域では、多くの人が車を失ったたこともあり、自転車の需要はとても高まりました。
災害時の移動手段として、自転車の重要性が見直されたのです。
新庄クリテリウムに、家族で参加するような、自転車愛にあふれたご家庭は、家族みんなで助け合い、支援の輪が広げることができたことでしょう。
多くの方が、自転車の大切さに気付いた証拠に、震災の直後から、自転車を購入する人も増えましたし、被災地には救援物資として自転車が届けられました。
神奈川県藤沢市では、預かり期間を過ぎた放置自転車を被災地へ送りました。
放置自転車は、期間をすぎても取りに来ることがなく、処分されてしまうことが多いので、これはとてもいいアイディアでした。
2011年の教訓を活かして!災害時に使える自転車はどれか
2011年に、延期された新庄クリテリウムを振り返り、自転車と災害との関係について、話を広げてきましたが、ここで、災害が起きたとき、最も活躍する自転車はどれなのか、考えていきたいと思います。
ロードバイクは、舗装路を、スピーディに長時間走るのに適した自転車で、災害時にはあまり向きません。
もちろん、パンクしたときのタイヤ交換は楽ですし、長距離を乗るときに楽なので、乗り慣れた方にとってはやはり、心強い自転車です。
次に、MTBはどうでしょうか。
こちらは、頑丈で、路面が荒れていても、走れるように作られています。
スリックタイヤのようなツルツルのタイヤでも太目で安定感があるため、オフロードでも走ることができます。
では、クロスバイクの災害時の適性はどうでしょうか。
クロスバイクは、そのモデルによってかなり幅があり、ロードバイクのように高速で走ることを目的としたものもあれば、MTBのようにオフロードでの走行が楽なものもあります。
災害時に活躍するのは、後者のタイプのものでしょう。
次に、ママチャリですが、一番多く普及していることもあり、パーツの交換がしやすいことやカゴがあるため、荷物が多くなりがちな災害時にも便利です。
ただ、重いので持ち運びしづらく、ロードバイク同様、舗装路を走るのに適した自転車ですので、スポーツ自転車と比べると不便かもしれません。
これらのことを考えると、災害が起きたときに便利な自転車は、MTBやクロスバイク、シクロクロスなどの自転車だといえます。
東日本大震災から、自転車の重要性について考える
新庄クリテリウムは、震災があった2011年も、活気あふれる大会でした。
直接的な被害が少なかった山形県も、震災を、東北全体のものとしてとらえ、支援してきました。
震災から時間が経つにつれ、徐々に忘れられることがないよう、復興支援に努め、また、災害時の備えをしっかりしていきたいですね。
自転車は、災害が起きたときに、とても便利ですが、これから購入される方は、ママチャリやロードバイクよりも、MTBやMTBよりのクロスバイクなどがおすすめです。